おは今失礼ひろいです。
さてさて時は大阪へ引っ越す幼稚園の年長さんの時代です。
まだ小さかったので引越しにそんな抵抗もなく
大阪は八尾市に引っ越します。
4階建ての4階に住んでいて、雑多なところだったのを覚えています。
この場所に小学校5年まで住む事になるのですが、かなり影響もうけた時期だったと思います。
まず。
標準語の僕が
たったの2週間で関西弁に染まりました。
さすが関西弁の感染力です。。。笑
幼稚園時代はというと、まだ明るい性格で。外で遊ぶのが好きな子供でした。
父親は仕事で遅くなることも多く、母親が主婦だったこともあり、この時期の僕は完全なるマザコンですね。ええ。疑いようもありません。
買い物もすべてついて行っていたと思います。
肝心の幼稚園はというと
これは今ではなくなってしまっているかも。。。?ですが、鮮明に覚えていることは。
・小学校と中学校に併設されていた(小学校の裏庭とフェンスで仕分けてあるだけ)
・制服があった(季節問わず半ズボン)
・そこの先生がおばちゃまですが、大好きだった。(プレゼントとか渡してた気がする)
・年長から転校してきたので、帰宅してから遊ぶような友達はほぼいなかった気がする
という感じのことを覚えています。
上に書いてないですが、今となっては一番すごいと感じること
※やってるとこあるかな?
早朝のラジオ体操とあわせて
上半身は裸で乾布摩擦が毎日あったこと
乾布摩擦。。。わかります??
うちの子供がこのブログ読む頃には、意味わからない言葉かもしれませんね笑い。
その字の通り、乾いた布で体をこすって、運動と摩擦の熱で寒さも乗り切り強い体をつくろうぜシステムです。
ザ・昭和な感じがします。これ今だと問題になるのかな。
この頃の僕は楽しかったとしか覚えてないですが、その効果の有無は不明です笑。
あとは上のとおり
先生のことがかなり好きだったので幼稚園に行くことは楽しみにしていたと思います。
自宅は弟と僕の勉強部屋 父親の部屋(創価学会なので仏壇有り) キッチンリビング 母親と僕と弟の寝室 風呂は寝室に併設
て感じだったはず。
まだこの頃は幼稚園と家の往復がメインで、周りの景色は目に入ってはいても記憶には残ってなかったかもなので、そのあたりは次回書きます。
思い返すと とても懐かしくてほっこりします。
では自己満足な自伝みたいですが、つづく。