おはこん失礼。ひろいです。
先日の遺したいシリーズ5ではいじめられていた経験を書いたわけなんですが
これが前の記事。このシリーズは雑記シリーズなんで、文面も肩肘張らずに書いていきます。なのでところどころ関西弁が入ったりしますが気にせんといてね。
表題の引越しで学んだことは下の方に書いてあるんで、結論だけ先にチェックの場合はスクロール!
さてひろいは小学校の5年生までにいじめを克服し、楽しく過ごしていたわけなんやけど、おとんから衝撃の一言を受けます。
『引越しします。家は探してます』
え、ちょ。小学校卒業間近でまじか?(ダジャレではない)子供心に結構このときは衝撃をうけたんを覚えてます。せめてあと一年待ってくれよと思いました。
理由もなかなかすごい。
・家が欲しい
これがすべてやったらしい。けど40歳くらいのその当時のおとんの世代の人の夢ってマイホームなんよね。これって子供には残酷やけどやっぱり親からしたら夢だったわけで いまとなっては仕方ないかと思えるようになってる。
その当時の記憶やと
引っ越すと決まった日が来るまでほんまに嫌やった。5年間の友達が一気にいなくなるわけで子供からしたら 卒業前に知らん人ばっかりの土地に移動するのはすごいストレスなんやと覚えてる。
けどその分多くのいい思い出も貰ったのも覚えてる。
今と違って携帯がない時代やから
『卒業してもメールするね』なんてのはない
『卒業しても手紙かく』て感じなわけ
実際手紙ももらったし、寄せ書きも貰ったし温かい言葉もいっぱい貰った。ラブレターも貰ったなあ。
最後の小学校5年の時の先生は 名前も37歳になった今でも覚えてる 水谷先生。本当にいい先生やった。熱くていまの時代やと体罰とか言われてしまうこともあったけど、愛情からくるものやていうのが子供でもわかる本当の意味で先生やった。この先生についてはいずれ別のブログで書くわね。
そんだけいい思い出が未だに残ってるくらい、そこから離れるのは辛かったんやと思う。
大阪から奈良に行くんやけど、電車ならたしかに2時間程度で行ける距離。けど小学生にとってはもう未知の世界なんよね。引っ越してからも何度かは自分が大阪戻ったり、友達が奈良に来てくれたりもあったけど。1年もせんとそういう交流もなくなってしまった。そういう意味でも子供は順応性が高いんやとは思う。
この引越しっていう出来事から自分自身も忘れんように書き留めておきたいことは
・大人の夢で子供を犠牲にするのは良くはない
・子供には子供の世界があって それを尊重してあげる
・大きな事は例え完全に理解できないことでも 子供を交えて話し合う
当然大人だって親だって人間やから、子供が成長したら親のこと理解できることはある。
けどその当時の自分は理解したふりして本当はあと1年はそこに居たいと思ってたんよね。
このことは忘れないように書き留めておこうと今回書いた。今時はネットの発達もあるしちょっと引っ越したくらいで環境は激変はしないのかもしれんけど、やっぱり画面の先の出来事と 目の前にある現実はどんだけ進化しても違うもんやと思うしね。
先々なにかあれば読み直して思い出そうと思う。
つらつら雑記失礼。読んでくれた人ありがとう。
我が子がこれを見る頃、君の周りには幸せがたくさんありますように。
ではまた。