ひろいの徒然ブログ

アパレル生産管理自営の日々や子育て

【アパレル雑談 1900年代のおしゃれ 労働者】③お仕事の徒然

おはこん失礼、ひろいです。

先日までは貴族さん関係がおしゃれの最先端をつくって庶民への影響を大きく持っていたことなどを書いてます。添付は前回のもの。1900のカテゴリは僕の勉強カテゴリになります。

 

www.hiroitoshoten.work

 

今日は僕のブランドの根幹のひとつ

労働者の服装に焦点を当てていきます。僕自身毎日勉強なので

ブランドを作って出てくる商品たちがどんな考えで作られているのか、自分自身忘れないため、見てくれる人に頭の中おみせするため そんなブログになってます。

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労働者の写真(1929年)

 

さて昔から作業服というものは、何度も修繕を繰り返してボロボロになるまで着るものとしてしか考えられてませんでした。いまの様に汚れたら捨てる、古いから捨てるという様なものではなかったわけです。

(まずこのポイントが僕のブランドの根幹にあります)

20世紀の初頭、労働者は経済的な事情から、唯一の休日である日曜日は

くたびれた揃いの上下セットアップか、もしくはよそ行き用があればそれを着るのが普通で、中にはジャケットとベストにコーデュロイのような丈夫で多機能な素材のパンツを履くものもいました。

そうでなければ襟なしのストライプのシャツにベスト、首にはスカーフ、足ものは底に鋲が打ってあるブーツ、頭にはツバの短いフラット・キャップというスタイルで

タイをしめるときは山高帽をかぶることもあった

とにかく当時の西欧社会の肉体労働者は まるで「制服」のようにみんなが同じような格好をしてました。

 中世以降、服装にも特定のスタイルができてきて、着る物でその人の職業や商売がわかるようになってます。18世紀には羊飼いの着るスモック・フロックや法律家がかぶるカツラなど、身につけるものがはっきりと職業を示すようになってる。

また、19世紀の終わり頃になるとメリヤス編みのシャツを見ただけで漁師という職業ばかりか場合によってはその漁師の母港まで特定できたようです(フィッシャーマンズセーターってやつです)

軍服ではない「制服」はシンボルマークとしての意味もあって、色つきの揃いの洋服を着ることで特権や身分のある任務に服している、あるいはこんな会社に勤めているというように経歴がはっきりわかります。

たとえば警察は濃紺。カナダ騎馬警察隊員は赤。1905年に設立された自動車協会は黄色というふうに制服の色で瞬時に識別できるわけです。

 現代のように特別な規定がない社会だと仕事着で職業を判別するのは難しくなり、仕事着はもはや男性にとっての特別なワードローブでは無くなっています。20世紀の初めになると社会の規範や服装の基準に劇的な変化が生まれて、ビジネスマンが開襟シャツやショーツでマンハッタンの街中を歩く姿が見られるようになり、医者も白衣を着なくなった。

今ではかつての仕事着として使われていた多くのアイテム

たとえば工事現場のワークブーツ コーデュロイのような丈夫な素材までもが人気ファッションの仲間入りをしてます。

とりわけある作業着は洋服の分野で、世界を席巻していますね…

それがデニム素材によるジーンズです。

かつての仕事着がいまや遊び着の象徴になっているというのも皮肉なことです。

 

デニムジーンズに関してはまた後日。

 

今回は

ワーカーの服は、ボロくなっても直して着るもの

職業などがひと目で分かるもの

仕事着だったものがファッションの世界に多く入り込んでいる

この3つが僕の中でポイントになることの勉強になった1900年代の背景のお話。

では下の写真の説明だけおいて、それではまた。

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左・ジェイムズ・ジョイス 右・自動車教会員の制服

左の作家さん1882年から1941年まで生きておられた作家さん。

典型的な労働者スタイル、だぶだぶのラウンジ・スーツ・ジャケットにベストで対照的な色のパンツをあわせ、襟はネクタイに頭にハンチング

 

右の協会員さんは、防水加工の施されたダブルのジャケットに乗馬ズボン。

ツバの尖った帽子。この方のように外回りの仕事には固めの高い襟が必要。生地の防水加工技術は、当時確実に進歩していた(1909年)

 

 

 

参考文献

ONE HUNDRED YEARS OF MENSWEAR

キャリー・ブラックマン著作